離婚直後のオンボロ借家
離婚直後、やっと見つかったお家。
それは、3Kバストイレ付き・家賃3万5千円の借家でした。
築年数不明(おそらく40〜50年?)
よくある(今あるかな??)一つの敷地に平家の借家が4〜6棟くらい並んでいるあれです。
こんな感じ↓
玄関はサッシだったので、この写真よりはもう少し近代的だったかな?
でも縁側の引き戸はサッシじゃなくて木で出来ていて、鍵はネジ式。
こんな感じ↓
今の若い人は知らないかしら😅
しかも、1箇所鍵穴がバカになってて、
回しても固定されず、永遠にクルクルクルクル…
…これ、鍵の意味ない…
こんなんじゃ、いつでも泥棒さん入り放題やん…
ま、でも、泥棒も入る家、選びますよね💧
実際、4年間住んで1度も泥棒が入ったことはありませんでした。良かった良かった。
さらに、寝室にしていた部屋の窓ガラス、端っこ少しかけてましたね。
直径1センチくらいだったかな?穴空いてました。
ガラスも、今のサッシのような厚いガラスじゃなくて、うすーーいやつ。
冬は寒かったなー
でも布団を頭までかぶれば大丈夫👌
娘と一緒に寝ていたので湯たんぽみたいで暖かかったしね。
あとは、テレビは1局しか映りませんでしたね。フジテレビ系列のチャンネルのみ。
屋根の上のアンテナが調子悪かったみたいですね。
大家さんに言ったら、自分で直してって言われたので、放置しました。
だって、そんなお金なかったし、テレビなんて何チャンネルも見るひま無かったから、
フジテレビが見れれば、ま、いっかと思って😆
あと、水道管も漏れましたね。
ある月を境に水道代が倍くらいになったんです。
それで水道局に行ったら、「お子さんいるでしょ?水遊びしたら、このくらいすぐですよ」
と、相手にしてもらえませんでした。
この説明にはなんとなく納得できなくて、
水道管の周りを自分で調べてみたら、
漏れてましたね〜
湧水のごとく💧
それを水道局に言ったら、やっと直してもらえました。
道路から入った敷地内の水道管は、持ち主の管理だそうで・・・😱
修理費3万くらいかかったかな?
イタタタタ!
極貧母子家庭にこれはダメージ大きい!
と、思ったら、これはさすがに大家さんが払ってくれました。
助かった〜💦
お風呂も、火をお風呂場の外で点火するタイプ。
キッチンに勝手口があって、そこに風呂釜の湯沸かし装置があった。
自分でガスのコックを開いて、チャッカマンで火をつける。
もちろんシャワーなんてありません。
いつか、シャワー付きのお風呂が付いている家に引っ越すんだ!という、夢と希望がありましたね。
そうそう、勝手口の扉は15cmくらいしか開きませんでした。
壊れてて、しっかり閉まりもしなかったので、隙間が空いたままでした。
換気扇も付いていないキッチンだったので、
一酸化炭素中毒の防止にはちょうど良かったかもしれません。
そんなめっちゃ古いボロボロの借家だったんですが
トイレは水洗だったんです。和式でしたけど。
この借家を内見した時、そこだけで決めましたね。
汲み取り式だったら借りませんでした。
こんなオンボロ借家でしたが、シュナ子は幸せでした。
だって、娘と2人、誰にも気を使わず、
のびのび笑って、娘が走り回っても誰にも迷惑かからない。
娘が小さい頃はよく、家の中で追いかけっこしました。
娘はキャッキャ笑って本当にかわいかった・・・
唯一映るフジテレビの、某お笑い番組の葉っぱ隊が娘のお気に入り。
「やった!やった!やったー!」と踊る娘を怒らなくても済む。
家賃も激安で、本当に、小さな子供を育てるビンボーシンママには最高の物件でした。
婚姻時に乗っていた軽自動車は、離婚後もそのまま使っていて、
これが無いと通勤、保育所の送り迎えができなかったんです。
田舎は交通網が発達していないので…
だから車は必須
削れる固定費は住居費だったんですよね。
そして斜向かいの奥さん(八百屋の奥さんの娘さん)が
面倒見のいい、とても良い方で・・・😭
私の母と同じくらいの歳の方で、
よく、手作りのおかずをお裾分けしてくれました。
シュナ子が気を使わないように、容器はお豆腐や何かの入れ物に
ラップを敷いて届けてくれました。
お皿や丼だと、後で返しに行かなくちゃいけないから。
「こんなの(お豆腐の容器)でごめんね、でもこれなら捨てられるから」と。
仕事で遅い時には玄関にかけてくれたりして、
本当に助かりました。
今のシュナ子があるのは、この方のおかげと言っても過言ではありません。
この後も、いろいろあったんですよ。
それについてはまたおいおい書いていこうと思います。
そんなこんなで、オンボロ借家の思い出でした〜✨
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