離婚、そしてシンママへ
シュナ子は24歳の時に1度目の結婚をしました。
まあ、なんの変哲もない、フツーの結婚。
でも、元夫は男尊女卑のモラハラ男でした。
当時はモラハラなんて言葉も概念も無く、
「女は男に逆らうな」
「女のくせにそのその言葉遣いはなんだ」
「文句があるならお前も俺くらい稼いでみろ!どうせ無理だろうけどな!」
「俺が寝ると言ったら布団を敷け」
「お前は女らしくない」
「女らしさってのは、男のわがままを全部受け入れることだ」
「親父の財産でお前に家を買ってやるのはばかばかしい」→いらんわ!てか、己の稼ぎじゃないんかいw
もっとあるけどキリがないのでこのへんで😅
そう言われ続けて、私が悪いのかな、なんて思っていたんですよね。
ケンカをしつつも、なんとか持ち堪え、
30歳までには子供が欲しいと思い、望み通り娘を授かりました。
でもまあ、モラハラ男との子育てなんて、私には無理だったんですよね。
そもそも、男尊女卑の俺様男だったくせに、稼ぎは手取り15〜16万。
今思えば、どこにそんな威張る要素があったのか。
いや逆に、男としての甲斐性が無いから、せめて嫁のことは支配したかったのかな。
知らんけど。
もちろんシュナ子は「この甲斐性なし!もっと稼いでこいや!」なんてことは1度も言ったことありませんよ。
それだけは言わないようにしようって、結婚当初に決めたから。
で、子供生まれたら私もパートはできなくなったので生活が一気に苦しくなり、
それでもモラ男(命名しました)は我関せず。
生活費が足りなくてもそれはシュナ子の担当だそうで、
相談しても「俺はしらね〜」と言って取り合ってもらえませんでした。
そんな状況でも「女らしくしろ」「俺をたてろ」「女が男に物を頼むのは命令だ」
と相変わらずのモラハラぶり。
娘が生後2ヶ月から食物アレルギーが出て掃除や除去食や病院通いが大変で、
なんとか治してやりたいと本を読んだり鍼に通ったりといろいろ頑張っていたシュナ子に、
モラ男は「ほっといたほうが治るんじゃねーの」と言いました。
それでも、シュナ子は「私が神経質なのかな」とじっと耐えたんですが、
そんな矢先、モラ男の父親が病気になったんです。
それまでは「ただいま」「風呂入る」「寝る」以外は発語せず、
育児を手伝って欲しくて、「私は夜も寝れないんだよ!」と訴えたら
「俺は寝る間を惜しんでテレビを観てるんだ!」と訳わかんない理屈をこね、
ただひたすらテレビを観てひゃっひゃと笑っていたモラ男。
それがその日から一切テレビを観なくなり、
「これで病気は治る!」みたいな本を買って来て読み漁ったあげく、
著者?編集社?に直接電話までして相談しようとする始末。
シュナ子は驚きました。
シュナ美(娘)がアトピーで全身顔中血だらけになって苦しんでいる時は
「ほっといた方が治る」と言って全く治療に無関心だったのに。
自分の父親のことはそんなに血相変えて心配して、行動するんだ。
モラ男はおおらかな性格なんかじゃなくて、ただ単に、シュナ子とシュナ美のことは、どうでも良かったんだ。
その時、シュナ子は気づきました。
「この人にとっての大事な家族は、自分の父親と母親なんだ。私とシュナ美(娘)じゃないんだな。」
そう思ったら愛想がつき、でも子供がいるから離婚はできないと我慢していたら、
そんなシュナ子の態度が気に入らなかったんでしょうね、「笑えよ!」って怒り出しましたね。
いやいやいや、普通無理でしょwww
で、淡々と家事育児をこなし、1〜2ヶ月くらい過ぎたあたりで、
モラ男は「いつまでふてくされてるんだ!」
と言って、シュナ子を殴りつけてきたんです。
はい、終了〜
暴力まで振るわれたらもう限界ですね。
シュナ子のモットーは安全第一ですから。
そんなわけで、モラ男がシュナ子をボコボコにして仕事に行ったあと、
シュナ子は速攻親に一時避難の受け入れ許可を取り、
姑に電話、事情を説明して離婚する旨を報告し、
引越し業者を呼んで、その日に家を出ました。
シュナ美 1歳6ヶ月の時でした。
離婚後、ものすごく大変でしたが、それでも後悔は1ミリもしていません。
別れていなかったら、おそらく新聞沙汰(古い💦)になっていたでしょう。
いや〜、あの時別れて本当に良かった・・・
今となっては、懐かしい思い出です😊
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