ぎりぎりを攻める神
今日は夫と2人で、今年初めての礼拝に出席しました。
私たちはプロテスタントの福音派です。
ハーベストタイムミニストリーズ関連の聖書フォーラムに属していた教会に集っています。
今日のメッセージは列王記Ⅰ17:1〜16
いよいよ預言者エリヤ登場の箇所です。クリスチャンにとってエリヤは超有名人なので、楽しみです。
クリスチャンになって6年目のシュナ子は、エリヤについて聖書で読んだことはありましたが、
列王記は馴染みのないカタカナの人名・地名のオンパレードで、正直よくわかりませんでした💦
人にはいろんなタイプがあって、聖書を読んで正しく解釈し、自分に合った適応ができる人と、牧師のメッセージから聖書を理解し、自分に適応する人がいます。
シュナ子は完全に後者になります。聖書読んでもさっぱりわからん!
だから、何が言いたいんだ??と、まったく自分ごとのように感じられない・・・
でも牧師の聖書解説を聞いて、意味を知って、そこから適応を教えられると、めちゃくちゃすんなり自分に入ってきます。
そして日常生活で、自分が変えられていくことを実感するんですね。
反対に、夫はメッセーよりも自分で聖書を読む派。
元アメリカ人なので、キリスト教文化の中で育ち、ある程度の聖書知識がすでにあるんですね。
なので、聖書を読んだだけで、神様の意図がなんとなくわかるんだと思います。
主人はクリスチャンになってまだ1年半なのに、すごいですね。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、礼拝で学んだこと、気づきなんかを健忘録的に記していきたいと思います。
列王記第1 17章1節〜16節
エリヤは登場してしょっぱなから、時の王アハブに宣戦布告します。
「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」
アハブはイスラエルの王様でしたが、よその国の王の娘・イゼベルと政略結婚しました。
そのイゼベルがイスラエルにバアル教を持ち込んで、アハブもバアルを拝んでいたようです。
聖書の神様が罪とする偶像礼拝ですね。
そのバアルは豊穣の神、雨を降らせる神として人間が作ったものなので、
神様は預言者エリヤを通して、「バアルなんて偽物だよ、その証拠に、雨、降らないじゃん?」とアハブ王に教えたかったんですね。
アハブへの宣戦布告の後、神様はエリヤをアハブから守るため、ヨルダン川の東、ケリテ川のほとりにエリヤを隠します。
その間神様は、なんとカラスをエリヤのお世話係にしたんです!カラスですよ?
そのカラスは、朝夕、パンと肉をエリヤの元に運んできたそうです。
いったい、どんな肉だったんでしょうね、どこからどうやってパンを運んできたんでしょうね。
聖書に書いていないのでそれはわかりませんが、自分で食べてしまわないで、神様に言われた通りエリヤに運んで行ったんです。見事な信仰です!
しばらくすると、イスラエルの神の力で雨が降らなかったので、川の水が涸れ、飲み水がなくなりました。
すると今度は神様がエリヤに、シドンのツァレファテに行って一人のやもめに養ってもらえって、言うんです。
エリヤがその地に着くとちょうど1人のやもめがいました。
エリヤはこのやもめが神が定めたやもめか確かめなければなりません。
そこで、エリヤは彼女に、水をください、と頼みます。
するとやもめはすぐに取りに行こうとしました。水不足のなかで、これは神様の定めたやもめに違いありません
エリヤはさらに「パンも持ってきて」と頼みます。お腹がすいていたんですね。
すると彼女はこう答えました。
「あなたの神、主はいきておられます。私に焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」
なんてことでしょう!やもめは子供と心中するつもりだったんですね
エリヤは彼女に言いました。
「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。イスラエルの神、主がこう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
やもめはこの言葉を信じ、そのとおりにしました。そしてエリヤの言葉もそのとおりになりました。
奇跡ですね。
この箇所からの適用
牧師さんからこの箇所の解釈と適用を教わりました。
まず、エリヤはしばらく隠されますが、この間カラスのデリバリーと川の水だけで生きることになります。
なぜ神様は、よりによってカラスから、養ってもらうようにしたのか。(聖書ではカラスは嫌われています)
それは、謙遜と神の奇跡を学ばせるためです。
この出来事の3年後に、エリヤは神のような大仕事をさせられるので、俺ってすごい!俺は神だ!と思い上がらないようにするためです。
思い上がり・傲慢は大きな罪ですからね。
おそらく、その時エリヤは神の意図は分からなかったんじゃないかな、と思います。
それでも、神に命じられた通りに行動しました。これが信仰です。
神は私たちに意味のないことはさせない。神様のねらいがある。
私たちは主に信頼する。神の祝福は必ず見える!
そして、ついに目の前の川の水が涸れます。
こんなとき、私たちは絶望して不平不満を言うでしょう。
「あなたの言ったとおりにしたのに、なぜですかああああ!!!」
これが不信仰です(耳が痛い💧)
そして水が涸れた時、神様がふたたび登場し、次の指示が与えられます。
神様は、本当に失われるまで助けないそうです。
どんな試練の時も神を信じるように、神への信頼を私たちに植え付けたいと。
そしてやもめもその日死のうとしていました。そのタイミングでエリヤと出合わせ、神の奇跡を見ました。
神は、私たちのぎりぎりを攻めてくるんだそうです!
そして、神に信頼して一歩目を踏み出すと、神は次の展開を与えてくれる。
自分からアタックしていく必要性と、神から与えられる恵み。
これがワンセットなんですね。
分かち合いにて
牧師さんのメッセージのあと、小グループに分かれて、
今日の感想や学びなどを話し合う分かち合いをします。
私はぎりぎりを攻めてくる、ということが気になったので、聞いてみました。
だって、もう死ぬかも、、ってところまで追い詰められるんか、、、と思ったら、そんな試練に耐える自信ないって正直思いましたもん💦
そんな状況になるまで心配しないで心穏やかに神に祈る、なんて、自信ない・・・
すると分かち合いのリーダーが、「大丈夫よ、神様はその人が耐えられるぎりぎりラインを知ってるから。エリヤだからこのラインだったのよ。シュナ子さんにはそこまでしない。」
よ、よかった、、、、😭
生きている間に少しずつ信仰がステップアップしていくので、その時の成長具合に合わせて試練がくるってことですね。
ふぅ〜〜〜あせった〜〜〜!
それにしても、「ぎりぎりライン」でこんなにあたふたするなんてね。
シュナ子の信仰なんて、こんなもんです💧
(次回は恐れるな!をどうぞ!)
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