分からない時には神に聞く!
礼拝メッセージの健忘録です。
メッセージを聞いた直後は「そうゆーことか!」と目が開かれても、
時と共に記憶が薄れ・・・また迷う、
なんてことが多々あるので、
メッセージを聞いた後の感動を記録しています。
プロテスタント教会の礼拝メッセージって、どんな感じだろう?と
興味のある方にもお役に立てればと思います😊
前回の出来事
イゼベルの殺害計画から逃れ、ホレブ山に着いたエリヤに、主のことばがありました。
「エリヤよ、そこで何をしているのか」
エリヤは答えました。
「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
すると主は言われた。
「外に出て、山の上で主の前にたて」
すると、主が通り過ぎ、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕きました。
風の後に地震も起こりましたが、それらの中に主はおられませんでした。
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし、火の後にかすかな細い声があった。
第一列王記 19章13節〜21節 概略
この声を聞くと、エリヤは洞穴の外に出ました。
すると神の声がしてこう言いました。
「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤは答えました。
「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
そうです、風やら地震やら火の前に言ったことと同じことをもう1度言ったのです。
でも牧師先生曰く、風や地震やらの前と後では、エリヤの心持ちが違うと。
1回目は傲慢にも、神様にクレームを言ったんですね。
でも神様の超自然的な偉大なる御力を見せつけられ、
エリヤの心は謙虚に、まっすぐになったと思われます。
そして、2回目はクレームではなく、純粋な疑問を神に投げかけたのだそうです。
神様も、再度、ここで何をしているのか、と質問してくれるところがすごいというか、怖いというか・・・💦
で、エリヤの疑問を要約すると次の2つ
①なぜイゼベルを裁かないの?
②私が殺されてしまったら神様の働き人(預言者)が居なくなってしまいますよ!
エリヤから傲慢さが無くなったので、神様はこの質問に答えてくれました。
まず①の答え
a.ハザエルに油を注いでアラムの王とせよ
b.ニムシの子、エフーに油を注いで、イスラエルの王とせよ
c.エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ
これを聞いたエリヤはこう思ったことでしょう
「この人たち、誰やねん!!」
神様はエリヤに任命係を任されたんですね。
そしてこれら任命する者たちによって、後にイゼベルたちは皆殺しにされるのだそうです(第二列王記8章〜10章)
思いっきり裁かれますね。
ちなみに、エリヤではなく、後継者のエリシャがハザエル・エフーを任命しますが、神様はエリヤの仕事として見ています。これは人間には無い視点ですね。
そして②の答え
18節 「イスラエルの中に七千人を残している」とあります。
これは、バアル神を拝まなかった信仰者が七千人いるということで、
この中から預言者を育成することがエリヤの役割ということでした。
19節〜21節では、エリヤがエリシャに外套をかけ、エリシャがエリヤに従いました。
おそらく、外套をかけることが従うように、という合図としてあらかじめ知らされていたのだろうと。
そして、エリシャは畑を耕していた12くびきの牛のうち、
一くびきの牛を殺して牛の用具(くびき)でその肉を調理し、
人々に与えて食べさせた、つまり別れの宴会ですね。
その後、エリシャはエリヤについて行き、彼に仕えた、とあります。
畑を耕す大切な牛とその用具を失うことは、この仕事と訣別する覚悟を表しているとの解説でした。
本日の適用
牧師先生から以下の3つの適用があげられました。
- 分からない時には神に聞く
- 再召命を受けることがある
- 働きを次世代にゆずる
❶分からない時には神に聞く
なぜ急に道が閉ざされたのか、なぜ病気になったのかなど、そう疑問に感じたら神に聞いてみるといいそうです。
ただし、不平・不満タラタラだと答えは頂けないと・・・💦エリヤもそうでしたもんね😅
たとえ全てが分からなくても、部分的に教えていただけたことで、
神に信頼していれば大丈夫だと考えることができる、納得できる答えをくれると。
❷再召命を受けることがある
神からの召命は変わっていくそうです。
牧師先生も、最初は音楽伝導の召命をいただいたけど、その後牧師へと召命が変わったそうです。
❸働きを次世代にゆずる
自分の働きを次世代へ。若い世代が働きやすいように祈って働くことが大事と。
分かち合いにて
分からない時は神に聞くことは、確かに大事だなって思いました。
しかも、不平不満の心で神様に文句を言うのではなく・・・
いや、最初はそうでもいいんでしょうね、
素直な心の痛みを神に聞いてもらい、でも祈りながら徐々に平安をいただき、最終的には神への賛美で終わる。
詩篇でダビデもそうでしたから。
人間なんかに、神のご計画やお考えの全てが理解できるはずがありません。
ありんこが、宇宙のことや政治経済のことなんか理解できないのと同じだと思う。
でも、神様は良いお方で、私たちを愛しておられるから、安心しておまかせしていいんだって、思います。
ここに平安があり、このなんともいえない、未信者時代には感じたことのない平安が、クリスチャンの特権なんですって!
素晴らしいですね!
ハレルヤ〜〜😄
次に再召命について、正直、シュナ子は召命ってわかりません💦
神様は、シュナ子にどんな働きをしてほしいのか・・・
フルタイムの献身者ではないので、この世でフツーに仕事してますから。
その仕事が召命なのだろうか?
でも信じる前からしている仕事だしな・・・
これは現在模索中です。
そして働きを次世代にゆずる、ですが、召命がよく分からないシュナ子には、
この意味も自分に適用しにくいなーって思いました💦
仕事のことかな〜?
でも、仕事も上司から決められていて、自分で「はい、明日から後輩にゆずります〜」なんで言う権限もないし、そう出来ない仕事。
まあ、いつかどこかで、適用できる時がくるかな?
でも、この話を聞いて思ったのです。
牧師先生が牧師職をぎっちぎっちに握っていないので、この教会はこの先もずっと大丈夫だな😊
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