人の幸せを心から喜べるようになる、たった1つの方法
なんとなく、いろんな人のブログを読んでいたら、
どうしても人の幸せが喜べなくて、そんな自分に落ち込んでしまうという方の記事を見かけました。
なんだか辛そうに綴っておられて、少し同情してしまいましたが…
ふと、シュナ子はそうゆう悩みは無いな、って思いました。
なんでだろう?
母の教え
よくよく思い出してみると、まだ10代か20代の頃、
母から「神様には主語がない」ということを教えられたんです。
どうゆうことかと言うと、心で思うことや言葉などで言ったことに対して、
神様はそのままその人の願いとして受け取るということ。
例えば、知り合いや友達に良いことがあった時、羨ましかったり嫉妬したりして、
〇〇さんなんて、不幸になればいいのに!なんて思ったとすると、
〇〇さんという主語は認識されず、思った本人の願いとして、思った人に叶えられてしまうというもの。
病気になればいいのに、苦労すればいいのに、嫌われればいいのに
そう思うと、神様が、それは思っている本人がそうなりたいと受け取り、そうしてしまう。
また、他人に悪いことが起こって、「いい気味だ」なんて思うと、
悪いことが起こることが望みだと神様に伝わってしまうと。
こわ〜!
と思った若かりしシュナ子は、それ以来、友達に素敵な彼が出来たとか、結婚した、子供が産まれたなど、良い出来事には一緒に本気で喜ぶように心がけました。
今ではそれが当たり前になり、自分ごとのように心から喜べます。
もちろん、友達に悪いことが起こったと聞けば、心から悲しみます。
この、「神様には主語がない」って、本当だと思いますよ!
だって、離婚して大変だった時にも、友達や同僚の結婚をいつも喜んでいたら、シュナ子も奇跡的に幸せな結婚ができましたから!
何より、友人たちの幸せな出来事に心から共感していると、自分の気持ちまで幸せな気分で満たされるから、この方法はおすすめです!
聖書的には・・・
クリスチャンとなった今、改めて調べてみると、
「神様には主語がない」と聖書には書いてありませんでした。
母には神様と教わりましたが、おそらく深層心理とか、そういった類のものでしょう。
でも、「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい」
とローマ人への手紙12章15節に書いてあります。
ですから、良いことがあった友人と一緒に自分も喜び、悲しむ友人と共に悲しむことは聖書的です。
自然とこれが出来るようになったことは母のおかげですね、本当に感謝です。
教会の分かち合いでも、人の幸せが素直に喜べない、なんて悩みを聞いたりしますから、なかなか難しいことなんだと思います。
いろいろインパクトのある母ですが、こんな良い教育もしてくれたので、
総合的には感謝しています😊
娘にも受け継ぐ
そしてこの方法は、シュナ子の娘にも伝授しました。
まだ保育園か小学校低学年の時に教えたので、当時の娘は素直に受け入れ、
そのせいか、娘の口から人を羨むような、嫉妬するような言葉は聞いたことがありません。
それどころか、人の悪口もほとんど言わない子で、
ついつい政治批判をしてしまうシュナ子と夫に
テレビとか見て批判するの、聞いてて嫌だからやめてほしい!
と言われたことがあります💦
もちろん、これはごもっともで、聖書的にもNGです、はい😓
値上げや増税の話ばかりでついつい「〇〇めがね」なんて言ってしまいますが、いけませんね💧
主が立てられた権威には敬意を持って従わなければなりません。
クリスチャンとなった今では、
どうか国の指導者たちが、正しい政治を行いますように
と祈らなければ。
なかなか難しいけど、がんばりまーす。
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